写真提供:たつの市教育委員会
子どもたちの心とからだの成長をサポートしたい。
その想いから、セイバンはものづくりの技を追求し続けてきました。
現在も、長年培ってきたものづくりの技術を駆使し、職人たちが一つひとつ愛情を込め、“軽く背負えて、6年丈夫”な子ども想い品質のランドセルを手作業でおつくりし、お子さまのもとにお届けしています。
室津の漁師が播磨地方産の皮革でつくった財布や鞄、キセル入れを販売していた。
昭和30年代の室津工場。
現在のような生地を裁断する機械がなかったため、力のいる裁断の作業は男性が、縫製の作業は女性が行っていた。
1993年(平成5年)、わずか740gのランドセルとしてギネスブックに登録
セイバンのランドセルの肩ベルト付け根部分に内蔵した、はねの形の樹脂パーツ「天使のはね」。肩ベルトが根本から立ち上がり、背中の上部に密着することで重さを分散し、肩や背中への負担の軽減を実現します。
幕末にやってきた軍隊の「背のう」を指すオランダ語の「ランセル」をルーツに、明治時代に子どもの通学カバンとして使われ始めた「ランドセル」。
大正天皇が学習院に入学したことを祝って、当時の内閣総理大臣、伊藤博文が献上した箱型の皮革製ランドセルが現在のランドセルの原型となりました。
当時は高級品だったランドセルも、徐々に一般家庭で購入できる価格となり普及。
セイバンはその時代からずっと子ども想いのランドセルづくりを続けてきました。
牛革は高くて使用できず、ランドセルに使用される革は基本的に豚革だった。また、丈夫であるという理由で、サメやアザラシの革も使われていた。
HISTORY OF SEiBAN
1946年(昭和21年)、西播鞄嚢製作所を設立。兵庫県たつの市に本社工場を新設。ランドセルの製造を本格スタート。
当時、一般家庭からすればランドセルは高級品。
亀吉氏は、高価なままでは普及しないと考え、廉価なランドセルの生産に乗り出す。
亀吉氏は、コストは下げても品質は下げないという方針を堅持。
牛革のランドセルが出回る。学習用具が増え、宿題の増加でランドセルが全国的に普及。
HISTORY OF SEiBAN
ランドセル市場を拡大するために、機械を導入して効率的な生産を行い、一般家庭でも購入できるよう更なるコストダウンを図った。
当時は、厚手の皮革を縫製できる機械はなく、既存の機械を当時の社長・正三郎氏が改修して作った。
ランドセルはセピアと赤が主流であったが、1965年頃(昭和40年頃)から黒いランドセルが増え始める。
ランドセル市場の拡大に伴い、メーカー間の競争激化。
㈱クラレがクラリーノ®を販売スタート。
HISTORY OF SEiBAN
子どもたちは、牛革の重いランドセルを背負っていたため、親から子どものからだに負担の少ないランドセルをつくってほしいという要望が多かった。
HISTORY OF SEiBAN
200点以上のパーツのすべてに担当者をつけ、素材を探したことで、他社に先駆けて軽いランドセルを開発することに成功し、売り上げを伸ばす。
ランドセル商戦は3月上旬がピーク。戸川純が赤いランドセル姿で登場。
HISTORY OF SEiBAN
ソーラーパネルの反射材を搭載したランドセルが登場。カブセに背カンがあることから、天使のはね案の始まりを思わせる。
HISTORY OF SEiBAN
1993年(平成5年)、わずか740gのランドセルとしてギネスブックに登録
1995年(平成7年)、阪神淡路大震災で被災者にランドセルを寄贈。
2001年(平成13年)、イオンがランドセル24色展開開始。多色展開がスタート。
HISTORY OF SEiBAN
2003年(平成15年)、「天使のはね」が完成、販売を開始。
2004年(平成16年)、CM放送をスタート。
2005年(平成17年)、「天使のはね」が大ヒット。
2011年(平成23年)、A4クリアファイル・A4フラットファイル対応サイズが登場。
HISTORY OF SEiBAN
2014年(平成26年)、初の直営店を表参道にオープン。
2015年(平成27年)、栄に直営店をオープン。
2016年(平成28年)、心斎橋に直営店をオープン。
2017年(平成29年)、三宮に直営店をオープン。
2018年(平成30年)、池袋と横浜に直営店をオープン。
そして2019年(平成31年)には、静岡、立川、福岡、仙台の4店舗をオープン。
次の100年に向けて、
世界中の子どもたちに笑顔を届けるためにセイバンはチャレンジを続けます。